ウクライナでは、ロシアの武力による一部領土の制圧・占領等、悲惨な戦争がもう数か月も続いている。地球上では他にも、あからさまな民衆の人権の抑圧、民主主義の否定が、複数の地域で起こっている。このことを想うと、地球社会の行く末に悲愴な思いを抱かずにはいられない。力の支配でなく法の支配を、武力闘争でなく平和の安定を、国際社会においてどのように実現していけばよいのであろうか。その際、宗教者には何が出来るのであろうか。
宗教者は、さまざまな具体的な行動を分に応じて実践していくとともに、誰もがうなずける宗教的人間観・世界観を語っていくことも大切な役割であろうと思われる。その際、日本の悲惨な戦争が終焉を迎えた直後に、『霊性的日本の建設』を説いた、鈴木大拙の言葉は、参考になるかと思う。
大拙は、「個己の自主性を樹立し、人格的価値の他に換うべきもののないということを十分に認識し、自ら尊ぶはまた大いに他を尊ぶ所以であることを覚悟しなければならぬ」と説き、さらに「個個円成の故に事事無礙である。事事無礙の故に個個円成であると。これ(華厳的世界観)が実に法界の様相である。東洋的思想、東洋的感覚、東洋的生活の基底に流れている根本原理である。……霊性的日本は、この如くにして建設せられる。これが自分の確信である」という。そして、次のように諭すのである。
「自らの価値を尊重するが故に他の(価値)をもまた尊重するということは、自と他とがいずれもより大なるものの中に生きているとの自覚から出るのである。自と他とはそれより大なるものの中に同等の地位を占めて対立しているのである。より大なるものに包まれているということは、自をそれで否定することである。換言すると、自の否定によりて自はそのより大なるものに生きる。そして兼ねてそこにおいて、他と対して立つのである。自に他を見、他に自を見るとき、両者の間に起きる関係が個個の人格の尊重である。」
十全な民主主義と平和の実現のためには、「自と他とがいずれもより大なるものの中に生きているとの自覚」を取り戻すことが肝要であろう。宗教者は、このことを語り広めていくべきではなかろうか。少なくとも、宗教教団が無辜の民を殺戮する戦争を支持・加担すべきでは絶対にないであろう。
(WCRP会報2022年8月号より)