去る八月十五日の七十五年目となる「終戦記念日」に際し、正午には物故せられました方々を悼み今日平和な世を享受している有り難さに感謝し天皇皇后両陛下を始め多くの皆様と共に黙祷を捧げました。八月は四日の比叡山宗教サミットも含め、上皇陛下が常々仰っておられる日本人が決して忘れてはならない日の広島に原爆が投下された六日、長崎に原爆が投下された九日、そして此の十五日と私共宗教者のみならず一般の方も戦争と平和について想いを致す月であります。
然し乍ら本年は初頭から中国武漢市に端を発する新型コロナウイルスの大流行により、全世界で政治・経済は基より日々の営みに迄影響が及び、例年とは異なる状況で八月を迎え各日に行う慰霊の形態も多々変更を余儀なくされました。
当神社でも三月から毎朝終熄祈願を執り行っておりますが、賀茂祭(葵祭)他の恒例行事や参列の在り方迄全て見直しました。此の現状を一種の「戦時下」と例える言説を聞き及び得心は致しますが、如何せん此の戦いの相手は目に見えず対話も叶わない代物です。何れ叡智により有効なワクチンが開発され「終戦」を迎える事となりましょうが、人類は絶えずウイルスと戦って参りました歴史がございますので、完全なる「終戦」は残念乍ら暫く望めないでしょう。
現在神社で行われる祭典には、祇園祭等に代表される疫病退散を願って始められた祭典が存し、今程医学が発達していなかった時代から今日迄累々とその営みは継承されております。ご存じの通り神道とは開祖・宗祖・教義が存しない宗教ですので、明確な「教え」も存しません。ただ、神道の特色には神を祀り祭典を行う為に清浄を保つ「祓え」の根本思想が浸透しており、やはり継承されております。此の新型コロナウイルス流行の最中、我が国の感染者が比較的少ない事は「祓え」の思想が手洗い等の生活習慣に結実している証左ではないかと推察致しております。
是はあくまで神道の立場から見た私見で各宗派でご異論もあろうかと存じますが、何れにせよ私達宗教者は過去から現代に至る迄も只管祈りを捧げ続ける事こそが使命の第一義であり、恒久平和並びに新型コロナウイルスとの戦いを「終戦」へ導く手立てである事を今一度皆様と共に認識し実践に務めたいと存じます。
拙文をもの致しましたが、私共神職の基本理念である天皇陛下の大御心を具体的にお示しされ、全国神社で奉奏される浦安の舞の歌である昭和天皇御製をご紹介申し上げ擱筆と致します。
あめつちの神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を
(WCRP会報2020年11月号より)