公益財団法人 世界宗教者平和会議日本委員会

Heartful Message

こころの扉

超越の声と深淵の音

上智大学神学部元教授・WCRP日本委員会平和研究所所員 ホアン・マシア

「自我の表面から自己の深みへ」
うわべの世界しか見えないとき、私たちは東西古今を分けて考えがちである。深みの次元にめざめたら、自己と命の神秘に気がつき、東西古今のあらゆる差や違いを超えて「全・中・一・心」を察知させてくれる超越の声から呼びかけられ、無限のいのちの世界につれていかれ、「もう一つの東洋」または「もう一つの西洋」が発見されることが可能になってくるのである。

東西古今のうわべの次元において自我中心の世界の中に生きるとき、自己のいのちに目覚めさせる無限のいのちの声が聴こえてこない。自我をこえて自己に目めざめさせる超越のいのちの声が我々を常によびかけている。四つの方法でその声が聴けるようになる。

第一の方法は、自我の圧力のため困っており、痛んでいる他者の顔や困っており、いたんでいる大自然の叫びに心の耳を傾ける慈悲の道である。それは無限の慈悲をひきおこす苦しみからのよびかけである。

第二の方法は、無限の「有・無」にあこがれる究極的な問いを追求し続ける道である。そうした究極的な問が根差している自己の深みから無限の地平まで広がる志向性が発揮される。

第三の方法は、自我の雑音がきえて無限にいやしを与える聖なるものからの問いかけに耳を傾ける道である。そのとき瞑想の沈黙の内に生の異議をあたえられる。

第四の方法はかなたからの超越の声を聴かせてくれる聖書やお経の信仰古典の言葉を解き明かす共同体からの信仰の遺産が伝わる道である。

表面に留まりがちな思考によっていわゆる東洋の無と西洋の有が分けられてしまい、愛と憎み、戦争と平和、時と永遠のあいだに緊張が高まるが、ふかみの次元にめざめさせていただければ無限の神秘のうちにつつまれて永遠の今と有か無かをえらばない「無限の有・無」または「無限の空」とでも呼ばれうる根源の場に錨をおろして根本の安定が見いだされる。

以上の四つの道、すなわち、慈悲の倫理と究極的な問の形而上学と沈黙の瞑想と信仰伝達の証をとおして自我から出て自己に目覚めさせる心の声に耳を聴けるとき、わたしたちは無限の愛と、無限の有・無、そして無限の沈黙の空・心と、無限の命の言葉に全身を傾けて自己といのちの奥義の啓示を与えられる。

「もうひとつの東洋、永遠の東西」
そうした超越からの呼びかけが聞こえる場をつくっていきたいものである。

他者の顔から学ぶ倫理、究極的な問から学ぶ形而上学、禅の沈黙からまなぶ霊性、聖人から学ぶ伝道の言葉を聞き、読み、唱えつづけたい。そしてすぐれた芸術作品の場合この四つの道が要約されうることにも気がつきたい。

そこで私は選ぶ美と永遠の命の表現は、ミケランジェロのピエタ、ベラスケスのキリスト像、中宮寺の如意輪菩薩である。わたしはこの三つを明朗さと慈悲深さの最高潮にある芸術作品として賞賛する。しかしここで私は、観音は東洋の物であるとか、キリストは西洋の者であるとはいいたくはない。

これら三つの像は、私にとって平和と永遠の命を表現するものである。これらは深い意味での「東洋的」という形容詞に値するであろう。しかしながら、地理的、歴史的な意味での東洋ではなく、「もう一つの東洋」、表面的な西洋と東洋の両者の自我から脱皮をはかり、両者の自己の深みの次元に没入して見いだされる「もう一つの東洋・西洋」なのだと長年の出会いをとおして私は確信するようになったのである。

(WCRP会報2023年5月号より)

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